【エッセイ】花輪と哀しみと
色とりどりの花があしらわれた豪華な花輪。
仕事中だとわかっていながらも、思わず手を止めて見とれてしまう。
とても素敵ですね、とカウンターの向こうから花束を買い終えたお客が言う。
「これ、お葬式用なんです。残念ながら。」
隣で別の花束を作り始めた同僚が答えた。
わたしは、シャンと華やかに横たわる花輪から目を離す。
残念なのか、お葬式は。
そもそも死は残念なことなのだろうか。
誰かが亡くなって泣くのは誰か。
悲しみに暮れるのは誰か。
それは紛れもなく、この世に残されたわたしたちだ。
悲しいものなのかそうでないのか、その場面を迎えた人が教えてくれたわけではない。
死が悲しいというのは、それを見送る、わたしたちの視点なのだ。
死、それは生命あるものにとって、もしかすると最も重要なライフステージなのではないだろうか。
小学校を卒業して中学校に入学するとき、学校を卒業して自立をするとき、人は新しい世界に飛び込むことを祝福する。
わたしが死ぬとき、それはわたしが今持つこの身体に別れを告げて、次なるステップへと進むときだ。
死を迎えてわたしが踏み出す次の世界は、今いる世界で前もって知ることができない。
誰かに相談することも、口コミを集めることもできない。
知らないもの、経験していないものに、わたしたちはいつもある種の恐怖を覚える。
それが、見ることも誰かに聞くこともできないものならば、怖いと感じるのは当然である。
こんなに勇気のいる大きな一歩はあるだろうか。
その日夜遅く帰宅して、ソファに座ってわたしは言った。
「わたしが先に死んだときは、パーティーをして祝ってね。」
彼は不思議そうな顔をしてふっと笑った。
「誰とパーティーすればいいの?」
「家族や友達や友達の友達をいっぱい呼んで、それまでで一番賑やかなパーティーになるように。」
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